坊守日記(8月) 【更新7月31日】
坊守日記(8月)
異常な暑さです。と、一昨年の坊守日記にも書いていましたが、またまた、
今年も同じ言葉を書かせていただきます。
皆さま、無理は禁物です。くれぐれもご自愛しながらお過ごしください。
先日、久しぶりに実家(佐賀県伊万里市)に帰省しました。子ども達は7年ぶりです。
きかっけは「母に長女の婿さんと孫に逢わせよ~」でした。
成田空港に向け、朝、4:15にお寺を出発、長女も孫も同じく出発。
お婿さんは仕事の都合送迎だけになりました。
息子は京都から、福岡空港ニッポンレンタカーでの合流をめざして、始発の新幹線に乗車です。
12:00に無事に実家に到着しました(やはり、遠かったです💦)
「お母さん、ただいま」
「おばあちゃん、久しぶり」
「なっちゃんね~あきなちゃんね~(光潤のことを指さし)なっちゃんの彼??違うよ~光潤だよ!」
大爆笑で、始まった再会でした。
一緒に伊万里ちゃんぽん(帰省したら絶対に食べたい!)・牧のうどん(埼玉にはないふりゃふりゃうどん)を
食べに行ったり、スーパーに買いものへ行ったり、市役所に行ったり、草取りをしたり・・・
住職は母が、たいへんお世話になっているヘルパーさんとケアマネジャーさんと今後の話をしたり・・と
濃厚な時間とお母さんに逢い話すことができとても嬉しくもあり、別れる時はとてもつらくもあり
車に乗せてしまい、一緒に埼玉に連れて来たくなりました( ;∀;)
今回、帰省をして1番感じたことは、
もうすぐ1歳になる孫、20代30代の子どもたち、50代の住職と坊守(50代最後の誕生日、59歳になりました)
と80代の母。
みんな年齢は違えども、みんなそれぞれの生き方、人生を歩んでいる中で、悩みや心配ごとはつきないことを
深く感じました。
長女ママは孫を育てながら、
「なんで!じっとしてくれないのだろ?なんで!」と、悩み
孫は
「ここで抱っこはいやだ!ハイハイしたいの~」と、ママの願いは届きません。
坊守も子育て奮闘中には、たくさん、悩みました。今も子どもたちのことで、悩むことはありますが((笑))
80代の母は坊守に、
「顕真(住職)はわがままでないか?佳奈子さんに苦労をかけていなか?」と、聞いてきました。
半分程度は頭でわかり、半分程度は忘れてしまっている母です。
先ほど話したことは、忘れているのに、やはり、息子のことは心配していました。
何歳になっても「親の心 子知らず」です。
お母さんに再会できたことは、家族の心の宝物になりました。
大切な時間を過ごせたのは、母のおかげです。ありがとうございました。また、逢えること願っています。
坊守日記(7月)
こんにちは。毎日毎日暑く、エアコンをつけずにはいられない日が続いています。
今日は、朝からしとしとと、雨が降っているので太陽がギラギラしていないぶん過ごしやすいです。
実は毎日、お寺の掲示板付近に「みみず」の死骸をたくさん見つけます。
その話を住職に話すと「朝、散歩をしていると色々な場所で見かけるよ」と、教えてくれました。
坊守も気にしながら、道路を見るようにしたら、なんと住職の言うように「みみず」の死骸がたくさん・・・
それもカラカラになった「みみず」です。
坊守「かわいそうに、温暖化で土の中が暑く、外に出てみたら、
それ以上に熱くアスファルトの上で死んでしまうのネ」
娘は現在「東京仏教学院」で浄土真宗の教えや勤行を学んでいるからか、こんな質問を住職にしました。
娘 「みみずも死んだら、お浄土に往(行)くの?」
住職「そうだよ、命あるものみんなだよ」
娘 「そうなんだ」
坊守は、住職が嬉しそうに答えていた顔の方が気になりました((笑))そして、その後に発言した
坊守「ねえ、乾いたみみずを水に漬けてあげたら、生き帰ったりして」
住職「えっ」
娘 「はぁ、ママ、大丈夫・・」
坊守「干しシイタケのように、原型に戻れたら善いのに、そう思わない??」
娘 「やめなさい」
どちらが親なのかわからない立場になり
坊守「はい」と返事をして、この会話は終わりました。
『手のひらを太陽に』
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
この童謡は、名曲ドリフターズの「いい湯だな」を作られた「いずみたく」さん、アンパンまんの
「やなせたかし」さんが、作詞した童謡です。住職が娘に答えた「命あるものみんなだよ」と「みみず」が、
重なって歌と曲になって、坊守の耳に聞こえてきましたので、ご紹介します。
厳しい暑さこれからが本番です。くれぐれもご自愛ください。