坊守日記(10月)
坊守日記(10月)
真っ赤な「彼岸花」をいろいろな場所で見かけます。また、朝夕の「涼しい風」や「虫」の声など急に「秋」を
感じることが多くなってきました。
しかし、最近は毎日毎日といっていいぐらいの雨降りです。朝起きた時の心が「今日も雨か~」とやる気スイッチが
入らなくなってしまう坊守がいます。
今年のお彼岸(20日~26日)には、子ども達がお手伝いに帰省してくれました。
また、シルバーウイーク
※5月の大型連休「ゴールデンウィーク」と対になるように名付けられました。
敬老の日を含む連休になるのでシルバーという名前が使われたとも言われています。
でもあったので、長女家族も合流をして、夕飯を一緒に食べる時間がありました。
合計7人(大人6・2歳児1)なので予約をしました。
お店のロビーは、待っているお客さんがたくさんいましたが、「予約をしている西です」と伝え、スムーズに席に
座ることができました。この時、娘に声をだして「よかった~予約をしておいて」とも言わずに、目と目を見合わせ
「ニヤ」として、お互いの気持ちを感じことができました。
その後、坊守は小学校5年生の「音楽の時間」の出来事を思い出してしまいました。
音楽の先生がなぜか?急に大きな声で怒りだし、音楽の授業が中断している時に、
坊守(その当時は、かなちゃん)が友だちと目が合い、「ニヤ」とした瞬間に怒っていた先生が
「かなちゃん、なに!先生に文句でもあるの」
と、またまた怒り始め、音楽の授業は先生の怒り時間で終わりました。
友達からは
「かなちゃんのせいで、ずうっと怒ってたじゃん」
と責められたことです。
60年生きている中で、イヤな思い出の1つだったので先生が何に怒っていたのか覚えていませんが、
先生の名前も顔も鮮明に覚えています。
11歳の時のことを思い出して、「目を見合わせる」の意味を調べることに
互いに相手の目を見ることを指します。
また、他の人がどういう態度に出るかをうかがったり、驚きあきれたりして、互いに言葉もなく
顔を見つめる場合にも使われます。
先生には太字のかなちゃんの態度にしか見えなかったのでしょう。
当時のかなちゃんはきっと「なに怒ってるの~??」とあきれたような態度で、友達と目を見合わせた
ことでしょう。大人だった先生は、11歳のかなちゃんの気持ちは、お見通しだったことがわかります。
恥ずかしい思い出です。
坊守日記(9月)
「暑い、暑い」と、言いながら過ごした8月もあと1日で終わります。
テレビをつけるたびに、地震・水害の被害の映像に心が痛みます。当たり前のように水が出で、電気が使え、
屋根があり、寝床があること、生かされていることに感謝を覚える数が増えます。
1日でも早く穏やかな日常が戻りますこと心より願っております。
夏の坊守のルーティンは、本堂のお内陣の仏花にお水を挿して、外の植物にお水、メダカの水を足しご飯をあげ
ホッとします。ここ涼しい日が続いていることから、起床してから、バタバタと動く必要がありません。
だからこそ、気がついたお話しです。
下駄箱に息子が帰省していたので多くの靴が並んでいましたが、京都に帰ることからスッキリ。
そこに住職の最近、買い求めた「サンダル」が真っ直ぐ置かれていないことが目につきました(坊守の悪い性分です)
何回か下駄箱の奥までサンダルを揃えて置くと、かかとの部分の2cmぐらい左右が合いません。
もしかして!サンダルのそこを確認すると、右には「6」左には「8」と印字されています。サイズが違うのです👀
記憶は、買い求めた時に戻ります。
息子と買い物に出かけた時に、住職の履いているサンダルの底が削れ、穴が空いていることを知っていたので、
靴屋さんで手頃なサンダルを見つけたので、息子に履いてみて
息子:パパは「6」でしょ。
坊守:このサンダルの「6」をください。
店員(女の子):お待ちください。探してきます。
~探してくると言ってから、だいぶ時間も経過しています~
店員:ありました。と、箱ごと坊守に手渡しました。
長々と時間がかかったことから、坊守も確認せずにレジに急ぎ足になり、買って帰りました。
あの時、店員もレジさんも坊守もサイズの確認をしなかった為に、こんなことが・・・
夏のセールも始まり、買い物客も多く、落ち着いた様子でなかったことを思い出しました。
そして、住職に
坊守:サイズが違うサンダルを履いていて、違和感を感じなかったの❔
住職:え!嘘。
坊守:嘘は言いません。
住職:知ってしまったら、違和感だらけで、困惑💦
時間に余裕を持って下駄箱掃除をしたら、気がつかなくてもよかった❔ことに気がついてしまいました(笑)
「蓮」
泥に根を張って綺麗な花を咲かせるのが「蓮」です。
西願寺では、蓮を育てています。6月から7月に花を咲かせてくれます。
4日間ぐらいで散ってしまいます。
泥の入る、そして、メダカのいる大きなバケツに根が張っています。
泥があればこそ、綺麗な花を咲かせることができます。
泥の中から、素敵な花を咲かせる蓮に、仏さまの教えを感じます。
仏さまをたとえる花として蓮をとても大切にしています。
『阿弥陀経』には「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」と、
お浄土で色とりどりの蓮が輝くことが示されます。
先日、門徒推進員さまから西願寺に届いた「蓮」
お盆中お荘厳させていただいています。
素敵な蓮をありがとうございます。
坊守日記(8月)
毎日、毎日異常な暑さです。と、2年連続3回目、坊守日記には書いています。
しかし、今日、7月28日(火)は、朝から涼しい風が寺務所を通り抜けています。
エアコンをつけない時間の居心地の良いことを感じる時間は貴重です。
まだまだこれからも異常な暑さになる日が来ることです。くれぐれも無理をしない過ごし方でご自愛ください。
次女が一人暮らしを始めて、住職と坊守の2人暮らしが始まりました。子ども3人が成長して
・長女は、大学から一人暮らし➠就職➠結婚
・次女は、高校時代は寮生活➠大学・就職はお寺に➠転勤して現在、一人暮らし
・長男は、高校時代は寮生活➠大学は一人暮らし
今思うと、家族5人で生活していた時間はあっという間だったことに気がつきます。
人生80年として、親と過ごす時間は約7年しかないそうです。
これは、睡眠・学校・仕事などを除いて計算したものだそうです。
もはや、もっと5人でいる時間を大切にしていたらと思うこともあります。
現在、長女は孫を育てながら、
「何で!じっとしてくれないの?」
「何で!食べてくれないの?」
「暑いから、外に遊びには行けないの・・わかる?」2歳になる孫がわかるわけありません。
娘の子育て奮闘中の姿を、若い時代の坊守とすり合わせながら、懐かしくも拝見しています。娘は必至です((笑))
また、坊守は先日「還暦」を、無事に迎えることができました。坊守の母は、56歳でご往生。
とても、60歳を迎えられたことが重く、そして、喜ばしくも感じる誕生日でした。
当時、坊守は30歳、母親と過ごす時間なんて考えることもなく過ごしていました。
今、歳を重ねられということに「ありがとうございます」そして、気がつかせていただけたことに「ありがとうございました」
忘れること、失っていくことが増えることもあります。しかし、少しでも新しい知識や魅力が増えることを願っている坊守です。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
西願寺に立派な「蓮の花」が咲きました。坊守は蓮の花を見るたびに、毎年、新潟から届いた!蓮の花托のことを思い出します。
坊守日記(7月)
こんにちは
毎年、この時期
西願寺の庭に咲いてくれる蓮の花です。
落ち着かない気候と地震、そして、昨日はダブル台風の情報に悩み、心配をする日々を過ごす坊守がいます。
皆さまはいかがお過ごしでしょうか?暑さもこれからが本番です。くれぐれもご自愛ください。
先日、梅雨の晴れ間に、玄関を水掃除していると
住職:「玄関を水掃除したらいけないらしいよ」
坊守:「なんで」
住職:「携帯で見たぁ」
●坊守の心の気持ち☟
携帯情報(-_-;)
坊守の母は毎日、ホースで水を流しながら玄関掃除をしていました。
真冬でも欠かさずしていたので、凍ってしまい、よく父が怒っていたことを思い出しました。
泥汚れを落とすには、これが1番。母のように毎日してるわけでもなく、たまたま掃除している
姿に気がつき、注意をされたことに、イラっ。
坊守:「なら、住職が携帯で調べて、正しい仕方で掃除をしたらいいかも」
住職:「ちょっと、携帯で見たから、伝えただけだから、気にせずに」
●坊守の心の気持ち☟
はぁ。なら、言わないでよ!言われたら気になるでしょう。 坊守の心は荒れています((笑))
最近は本当に便利になり、分からないことがあると、直ぐに携帯に頼り、答えを知ることができます。
ちょっと前は分からないことがあったら、坊守の頭では、親や大人に聞くが浮かびますが、現在は、
聞く相手の代わりに「オンライン相談室」「AI」「質問サイト」などと顔の見えない相手に頼ることがわかります。
・こんなこと聞いてもいいのかな
・迷惑かも
・笑われるのが怖い
・否定されるのがイヤ
このような気持ちが、顔の見える人と相談できなくなった理由だといいます。今はその悩みを解消できるのが携帯。
住職の携帯情報から、ちょっと携帯で調べた言葉「AI」。
「AI」=人工知能 =Artificial lntelligence=人間の知的な振る舞いをコンピューターで支援する技術。
例えば、スマホの音声入力・がん細胞の画像診断支援・議事録の自動製作・カーナビの渋滞予想など、
知らずのうちに坊守もAIにお世話になっていました。
自分が誰にも頼ることのできない時の救い「AI」だということを学びました。
しかし、使い方によっては、住職と坊守の会話のようになってしまいますので、
取り扱いには十分気をつけてください。

















