坊守日記(5月) 【更新5月2日】
坊守日記(8月)
毎日、毎日、異常な暑さに口から出る言葉は「暑い💦暑い💦」のみ
「怖いのは電気代」のみと話す坊守です(笑)フィッシャー症候群という病気になっ
てから、2ヶ月以上が経ちました。だいぶ、目の使い方(片目を閉じる・メガネの片
目に眼帯を張るなど)にもなれ、不自由な感じもわからなくなりましたが、さすがに、
疲れるようで、就寝時間が早くなり、夕飯を食べたら、すぐに眠くなります。困った
ものですが、もう少しの間、この病気とお付き合いをしていきたいと思います。
今日、娘ふたりはコンサート(韓国のアイドル)に行く予定で、午後、横浜で長女
と待ち合わせをしていると、次女が外出しました。今、坊守日記を書いていると、携
帯電話に娘たちから写真が送られてきました。コンサート会場の様子を送信してきた
かと思えば、ふたりで喫茶店に入り、甘い物三昧の様子を送信してきたのです。
坊守からの返信は「美を求めるよりも、食い気を求めてるって感じ(笑)」。
そんな娘ふたりの写真に癒されながら
今月は、「蓮とつながるプロジェクト」と題して、ここから書かせていただきます。
西願寺「蓮」のプロジェクトは、寺友クラブの山岸会長の弟さま(新潟在住)から、
蓮の花托を送っていただいた、2021年の9月から始まりました。
花托で作っていただいた西願寺玄関にあるオブジェから、西願寺サロンでご門徒の
皆さまと作った作品は、その花托を使わせていただきました。
ある時、門徒推進員ご夫妻から、花托から採れた種から蓮の花が咲くのでは?と、
お話をいただき、単純な坊守は「たね」を土に埋めたら花が咲くと考えていましたが、どっこい!
①硬い種に傷をつけて、お水に漬けておく 発芽するのを待ちました。
②🌱が出た種を、ペットボトルに水をいれ、成長を待ち、葉が2枚ほど育ったら
ペットボトルの🌱を取り出し植えました。ご近所Kさまに、お手伝いをしていただきました
⑤3月の暖かい日に、冬眠していた「レンコン」を住職が取り出すことに
試みました。2鉢からレンコンを取り出し、植え付けました。
⑥今年は、鉢の置く場所を変え、また、鉢の中には、メダカもご一緒に
生活することになりました。毎朝、ご近所Aさまに、声をかけていただいている、メダカたち。
どっこい!から、始まった1年4ヶ月。多くの皆さまのご協力と門徒推進員のご夫妻のご指導に
感謝しています。花を観賞しながら皆さまとお話しをしました。
花が散り、すぐに実が食べられるのは蓮だけです。
花が散った時に実がなっていることは、私たちの命が終わった時には、おさとりという仏の身に
ならさせていただいているという、仏さまのお話し=蓮の花ということです。
蓮のプロジェクトからいただいた、尊いご縁に万歳👏👏👏
蓮の花が、今日も №3
諸行無常(しょぎょうむじょう)
今日の朝(6:00)です。
先ほど(11:00)
咲いた咲いたと喜んだ心が、このまま、綺麗だから、このまま、咲いていてほしいと考えている坊守の耳に
「頑張ったね~暑いから、疲れたよね~」と声をかける女性の声が聞こえてきました。
「諸行無常」仏教の真理のひとつ
「祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響きあり」
『平家へいけ物語』の語り出しの有名な一句です。
インドの祇園精舎には無常堂があり、その四隅の軒のきにさげられている鐘は、
修行僧が命を終わろうとするとき「諸行無常」の四句の偈げを響かせ、
僧を極楽浄土へ導いたといいます。
このように、諸行無常は人生のはかなさ、生命のもろさ、そしてときには死を意味する言葉として、
日本人になじみの深い語句となっています。
しかし、本来、諸行無常とは、この世のものはたえまなく変化し続けているという事実を、
ありのままに述べたもので、仏教の真理の一つなのです。
人が死ぬのも無常ですが、生まれるのも無常、成長するのも無常だというのです。
不幸な人が幸福に恵まれるのも無常なのです。
万物ばんぶつは流転るてんしています。だからこそ、努力するのであり、
一刻一刻が貴重なのであり、限りある命を大切にするのです。
けっして、「無情」ではありませんぞ。
本願寺出版社「くらしの仏教語豆事典」より転載
坊守は「諸行無常」だからね!と聞こえ、
そうです そうです
気づくことができました( ´∀` )