坊守日記(12月)【更新12月1日】
坊守日記(7月)
暑い日、ジメジメとした日、そして集中豪雨だったりとハッキリしない日が続いておりますが、
ご門徒の皆さまは、お元気でお過ごしでしょうか?寺族5人は、元気に過ごさせていただいています。
皆さまとコロナウイルスによって、会えない日々を過ごしていくことが、こんなに寂しく、つらいこと
だとは思ってもいませんでした。西願寺のご縁ある方が、当たり前のように「お参りしていただける」
ということが、どれだけ大切なことなのかを再確認させていただく時間になっています。
早くコロナウイルスからの縛りから解放されたいと願うばかりです。
この7月は坊守の誕生月で、55歳を迎えさせていただきます。
父の日に顔を見せてくれた娘に
「次に会うのは、ママの誕生日だね」と言われ、
「55歳になります。おばあちゃん(坊守の母)は、56歳で往生されたの覚えてる」と聞くと、
何も答えない娘がいました。
当時5歳だった娘は、おばあちゃんの「死」を受けとめることができず、高熱をだし、
日帰り入院をしてしまうほどでした。その後は「神経性胃炎」と診察され、お粥を食べている時期が
あったことを思い出しました。
〇人は去っても その人の
ほほえみは去らない
〇人は去っても そのひとの
ことばは去らない
〇人は去っても
拝む手の中に帰ってくる
いっぱいある法語のなかで、母が亡くなった時は、「母に会いたい・母が今ここにいたら」この法語の
言わんとしていることがわかるような、わからないような坊守がいました。
でも、25年たった今は、「去らない」ことわかります。
〇母が娘に
最後のかけた言葉は
「また、会おうね」
〇住職が父に
最後にかけた言葉は
「お浄土で、また、会いましょう」
わたしたちがお浄土に生まれ往く=往生浄土・おうじょうじょうどということは、
そのまま仏さまになるということであります。
だからこそ、母は、住職も最後にかけた言葉「また、会おう」になったのだと思います。
お念仏に生かされている人生であることをかみしめながら、55歳の誕生日をお迎えします。