坊守日記(4月)【更新4月1日】

2021年03月06日(土)  19:27

坊守日記(3月)

 春が来た、春が来たどこに来た~🎵

 歌いだしたいぐらい暖かい日が3日前に。

 今日は、寒くて寒くて、暖房設定温度を2

 上げるような寒い日になっています。

 寒暖差疲労に気をつけて、体調管理をしてください。

 今日は、お昼ご飯を食べ終えたら、急に睡魔が襲ってきました。

息子が福井県から、卒業式だけを残しての帰省をしています。

毎日、することもなく過ごすのは飽きるので、大学生活に向けてほしい物がたくさんあるので、

早朝から短期バイトに行っています。1日目は昼食を「コンビニ」で買いました。

1,000円ぐらいの昼食代と自分が働く1時間分のお給料が変わらないことを学び、

帰宅した途端に「明日から、おにぎりを3個作ってほしい」と、頼まれました。

これが、睡魔の理由なのです。(坊守は、息子におにぎり代を請求したい! 笑)

食べ終わり片付けをしないまま、ソファーに横になり、寝ていると、

バタバタ、ガタガタ。どうかしたかしら・・

住職が仕事を暖かい2階でしたいので、食器を片付け始めたのです。

坊守「寝ているのに・・」

住職「寝ていていいよ・・」

坊守「だったら、1階で仕事をして・・うるさいから」

住職「気にするな!」

坊守 頭にきて、起き上がり片付けを始めると

住職「ここでは、仕事をしたくなくなった・・」

1階へ降りていく足音が聞こえた途端

坊守 大きな声で

 「わたしは、住職が寝ていたら、静かにしているのがわからないの~寝ている時に、

 子供たちが騒がしいと、静かにしろ~と怒るのはだれよー」

 と、カ~ッとしてしまいました。

 ニヤニヤしながら、娘が、わたしの顔を見たので

 坊守「なに!(怒り口調)」

 娘「別に!ニヤニヤするしかないでしょう~」

 しっかりと目も覚め、きちんと考えれば、妻・坊守としてまた、

 母として、感情のまま、些細なことに怒った自分が大人げなく、恥ずかしくなりました。

 物音に気が付いても、寝ていられる坊守になっていれば何事もなかったのに~と、後悔しました。

 坊守日記を書きながら、「角隠し(つのかくし)」の意味をお味わいしながら、

 

「角隠し(つのかくし)」の意味

          光り輝くような、白無垢の花嫁衣裳。誰しもが、「よかったね、おめでとう。おしあわせに」と、

          声をかけてあげたくなる晴れ姿です。

ところで、和式の婚礼衣装の場合、花嫁さんは「角隠し」と呼ばれる頭飾りをかぶります。

不思議ですね。頭のどこを探しても「角」なんかは生えていません。

人間だからツノなんてないのは当然です。それなのに、どうして角隠しをかぶるのでしょうか。

実は、今は花嫁さんがかぶる角隠しは、昔、浄土真宗の女性のご門徒が、

お寺にお参りする時にかぶった物だったのです。

頭を触ってもツノはありません。けれども、人間誰でも心の中に邪見(じゃけん)というツノを持っているのです。

邪見とは、よこしまな誤った考え方であり、「我が」という自己中心の物の見方です。

そんなよくない心が、ツノのように外に突き出てきて、他人を傷つけてしまうのです。

一皮むけば、恐ろしい角の生えた鬼であると気づかせてもらうことが、仏さまの教えに出遇うということです。

だから角隠しは、「ツノのある、あさましくお恥ずかしい私であります」という表明になるわけです。

女性がかぶるからといって、男性にツノがないということではありません。

やっぱり、邪見のツノが生えています。お互いなのです。        1536234 (1).jpg

「ようこそ、ツノのある私の夫になってくださいました」

「こちらこそ、ようこそ妻になっていただきました」それぞれが心の中で拝み合って、

なるだけツノを出さない人生を始めていく。これが仏前結婚の心です。

                                『仏事の小箱』菅 純和著より

 

 坊守のツノ、そして、「縁は異なもの」ということわざを、西願寺新聞=響流に

 人間は誰でもひとりで生まれ、ひとりで死んでいきます。しかし、縁があれば、人生の中で他の人

 と生活を共にすることもありましょう。親鸞聖人も恵信尼さまとご結婚され、お二人で念仏の教え

 を依りどころとして生きていかれました。その生活のご様子は、ともに敬い信頼をもって助け合う

 もののようであったと思われます。

「縁は異なもの」ということわざがあります。「他人である男女が結ばれて夫婦になる、そんなご縁

 というものは、人の力を超えた不思議な力が働いている」という意味です。不思議なご縁にこそ、

 本当の妙味があるということでしょうか。

 

 不思議なご縁にこそ本当の妙味があるということでしょうか。この住職の書いたお話が、

 今月の坊守日記の「落語」でいう「落ち(さげ)」のように、に感じ、

 心が読まれていたことにドキドキしました。