坊守日記(12月)【更新12月1日】
坊守日記(5月)
コロナ禍になって、1年以上が経過しました。
「早く収束するといいですね!」と、ご挨拶を合わしていたわたしですが、
最近は「いつになったら、コロナは終わるのでしょうか?」と、
口調も荒い感じでお話しをしてしまいます。
昨年の今ごろは、夏になって気温が上がればコロナのウイルスは減少し、
冬にはワクチンを打ち始め、特効薬も開発されて、来年は安心して
「オリンピック」が開催できる日本になると思っていました。
しかし、昨日、またまた、大阪・京都・兵庫・東京に「緊急事態宣言」が発令されました。
このコロナというウイルスに心が折れてしまいそうな坊守がいます。
コロナに負けないように、気分を変えようと「散歩」に行きました。
たくさんのお花が咲いていて、コロナ禍だという時間を忘れることができました。
新しい西願寺の本堂に、いつでもお参りしていただけるよう、
住職も坊守も体を大切にしながら過ごさせていただきます。
どうか皆さまもくれぐれもお体ご自愛ください。
建替前の西願寺の庭に咲いていた梅の木を鉢に植え替えました。
根付くか心配でしたが、今年も立派に花が咲き、実も着いています。
梅酒作りに挑戦してみます。
だから、梅の花は、散るのではなく、こぼれるっていうんやと教えてくださったご住職のお話が、
「本願寺新報」に書いてあったことを思い出しました。
「足利フラワーパークの藤の棚を見てみたいです」と、先日、
法話会にお参りしてくださった皆さまと会話をしたことを思い出しました。
早く堂々とお出掛けしたいです。
坊守の小学生時代の担任の先生が青森県出身。
すずらんの苗を私たちに配ったことを思い出しました。
まだ、実家の庭にに咲いているかな~先生はご健在かな~
「館林のつつじが岡公園」のつつじも満開の様子をテレビ中継で拝見しました。
西願寺付近のつつじも観光地のつつじに負けないぐらい綺麗です。
沢山のお花と出合いました😊
坊守日記(4月)
今日(3月29日)は、夏かと思うぐらい暑い1日になっています。
また、お寺の前のおやまの公園も桜が満開です。
本堂の窓から見える景色も最高です。
窓から眺め、外に出て眺めるくらいしかできない「今」ですが、
きっとまた、レージャーシートを敷き、皆さまと会食ができる日が来ることを夢に見ながら
心待ちにしている坊守がいます。
どうか寒暖の差とコロナに負けないよう、お体ご自愛ください。
3月19日に厳修された「西願寺合同墓春季彼岸法要」で、お寺の建替中でもあったことから、
久しぶりの再会をしたご家族。
日ごろから、お寺にご命日・お彼岸・お盆と、ご家族揃ってお参りをしてくださっていました。
お孫さんが5人います。今日のお参りは、おふたりのお孫さん。
お姉ちゃんおふたりとお兄ちゃんは、大きく成長されている様子を聞き、
「会いたいな~遊びたいな~」と思うわたしがいました。
平日は、小学校、幼稚園や保育園に通っているためお参りでの再会が難しくなりました。
「孫たちの予定の方が忙しくて・・・」
というお声もよく聞きます。
また、先日、お参りしてくださった小さな男の子は玄関を開け、西願寺の本堂を見た途端
「外はおうちだったけど・・・
ホントだ!中に入ったら、お寺だ~」と、
声を上げて喜んでくれていました。
わたしは、本当に素直なご意見と、その男の子が、西願寺の本堂を見て、
ニコニコしたお顔を忘れません。わたしも嬉しくなりました。
子どもだからこそ、嘘、いつわりのない、大人に話せる会話をしていただけることだと思います。
大切にしていきたいです会話です。
「〇〇とお寺に行ったよね~」
「〇〇とお寺にお参りしたよね~」
と、いつか!時々!西願寺を思い出していただけたら幸いだと考えています。
それが西願寺でのご縁作り、寺友です。
西願寺合同墓 春の彼岸法要
坊守日記(3月)
春が来た、春が来たどこに来た~🎵と
歌いだしたいぐらい暖かい日が3日前に。
今日は、寒くて寒くて、暖房設定温度を2℃
上げるような寒い日になっています。
寒暖差疲労に気をつけて、体調管理をしてください。
今日は、お昼ご飯を食べ終えたら、急に睡魔が襲ってきました。
息子が福井県から、卒業式だけを残しての帰省をしています。
毎日、することもなく過ごすのは飽きるので、大学生活に向けてほしい物がたくさんあるので、
早朝から短期バイトに行っています。1日目は昼食を「コンビニ」で買いました。
1,000円ぐらいの昼食代と自分が働く1時間分のお給料が変わらないことを学び、
帰宅した途端に「明日から、おにぎりを3個作ってほしい」と、頼まれました。
これが、睡魔の理由なのです。(坊守は、息子におにぎり代を請求したい! 笑)
食べ終わり片付けをしないまま、ソファーに横になり、寝ていると、
バタバタ、ガタガタ。どうかしたかしら・・
住職が仕事を暖かい2階でしたいので、食器を片付け始めたのです。
坊守「寝ているのに・・」
住職「寝ていていいよ・・」
坊守「だったら、1階で仕事をして・・うるさいから」
住職「気にするな!」
坊守 頭にきて、起き上がり片付けを始めると
住職「ここでは、仕事をしたくなくなった・・」
1階へ降りていく足音が聞こえた途端
坊守 大きな声で
「わたしは、住職が寝ていたら、静かにしているのがわからないの~寝ている時に、
子供たちが騒がしいと、静かにしろ~と怒るのはだれよー」
と、カ~ッとしてしまいました。
ニヤニヤしながら、娘が、わたしの顔を見たので
坊守「なに!(怒り口調)」
娘「別に!ニヤニヤするしかないでしょう~」
しっかりと目も覚め、きちんと考えれば、妻・坊守としてまた、
母として、感情のまま、些細なことに怒った自分が大人げなく、恥ずかしくなりました。
物音に気が付いても、寝ていられる坊守になっていれば何事もなかったのに~と、後悔しました。
坊守日記を書きながら、「角隠し(つのかくし)」の意味をお味わいしながら、
●● 「角隠し(つのかくし)」の意味 ●●
光り輝くような、白無垢の花嫁衣裳。誰しもが、「よかったね、おめでとう。おしあわせに」と、
声をかけてあげたくなる晴れ姿です。
ところで、和式の婚礼衣装の場合、花嫁さんは「角隠し」と呼ばれる頭飾りをかぶります。
不思議ですね。頭のどこを探しても「角」なんかは生えていません。
人間だからツノなんてないのは当然です。それなのに、どうして角隠しをかぶるのでしょうか。
実は、今は花嫁さんがかぶる角隠しは、昔、浄土真宗の女性のご門徒が、
お寺にお参りする時にかぶった物だったのです。
頭を触ってもツノはありません。けれども、人間誰でも心の中に邪見(じゃけん)というツノを持っているのです。
邪見とは、よこしまな誤った考え方であり、「我が」という自己中心の物の見方です。
そんなよくない心が、ツノのように外に突き出てきて、他人を傷つけてしまうのです。
一皮むけば、恐ろしい角の生えた鬼であると気づかせてもらうことが、仏さまの教えに出遇うということです。
だから角隠しは、「ツノのある、あさましくお恥ずかしい私であります」という表明になるわけです。
女性がかぶるからといって、男性にツノがないということではありません。
「ようこそ、ツノのある私の夫になってくださいました」
「こちらこそ、ようこそ妻になっていただきました」それぞれが心の中で拝み合って、
なるだけツノを出さない人生を始めていく。これが仏前結婚の心です。
『仏事の小箱』菅 純和著より
坊守のツノ❓、そして、「縁は異なもの」ということわざを、西願寺新聞=響流に
人間は誰でもひとりで生まれ、ひとりで死んでいきます。しかし、縁があれば、人生の中で他の人
と生活を共にすることもありましょう。親鸞聖人も恵信尼さまとご結婚され、お二人で念仏の教え
を依りどころとして生きていかれました。その生活のご様子は、ともに敬い信頼をもって助け合う
もののようであったと思われます。
「縁は異なもの」ということわざがあります。「他人である男女が結ばれて夫婦になる、そんなご縁
というものは、人の力を超えた不思議な力が働いている」という意味です。不思議なご縁にこそ、
本当の妙味があるということでしょうか。
不思議なご縁にこそ本当の妙味があるということでしょうか。この住職の書いたお話が、
今月の坊守日記の「落語」でいう「落ち(さげ)」のように、に感じ、
心が読まれていたことにドキドキしました。
坊守日記(2月)
春先のように暖かい1日だったり、灰色の雲に変わり、今にも雪でも降ってきそうな寒~い1日になったりと、この大きな気温差をわたしに教えてくれるのは、本堂前にいる「めだか」です。寒い日は、鉢の底で、動くこともせずにじっと。暖かい日は、足音がすると、鉢の底から上がってきてくれます。頭が良いなーと関心してします。どうぞお参りの際には、鉢をのぞいてみてください。
コロナ禍でつねに感じることは、行事・ご法事・ご相談・・と、お参りされた皆さまに、「お茶をどうぞ!」「お茶でもいかかですか?」と、一言が言えないことが辛いことです。
新しい西願寺建設に際して、坊守として希望(夢)を語った1つは、本堂から移動して、お参りした皆さまが、お茶が飲みながら、座談ができる部屋「客間」を設計してほしいでした。
🌸ご法事で久しぶりに再会した方々が
🌸報恩講・寺友クラブ主催の新年会・法話会お盆会・お彼岸会・浄書の会など
🌸西願寺を訪ねてくださった方々が
🌸寺友クラブの会員の皆さまが、多目的室として、ご利用していただく
ことを願いを込めて設計していただきました。
そんな今、ご案内できない寂しさと皆さまのお声が聞こえない寂しさに「コロナウイルス~早く消えろ~」と、大声で叫びたくなります。
晩になると「今日も1日が早かった~」と、住職に話す時があります。そして、暮れになると「今年も1年早かった~」と話します。昨年は「1年間コロナとお付き合いしていたなんて、噓のよう」と、定番の「早かった」の言葉よりもやはり「コロナ」という言葉は勝ってしまいました。
広島県のご住職からの年賀状を、西願寺の掲示板でご紹介させていただいています。
怖いのは
人間だった
≪輝け!お寺の掲示板大賞2020≫
【講評】コロナウイルスの恐ろしさが強調された1年でしたが、それと同時にマスク騒動やコロナ差別などで、人間の醜さが強く表れた1年でもありました。仏教を通して人間(自分自身)の煩悩をもう1度見つめ直してほしいと願いを込めて、この作品を大賞とさせていただきます。
(仏教伝道協会ホームページより)